はじまりのこと
錆屋
錆屋和蝋燭のこと
錆屋銅箱のこと
火を灯すたび、少しずつ形を変えていく和蝋燭。
けれどその変化こそが、本当の美しさを帯びていくように思うのです。
屋号に込めた“さび”。
「錆びていく」という言葉の中に、私たちは
「時を重ねること」や「未完成のままに在ること」の尊さを感じています。
錆の中に時が刻まれ、やがて緑青へと移ろう様は、
味わい深い時の流れが描く、自然の芸術です。
そしてもうひとつ。
日本の美意識である「侘び寂び」の“寂(さび)”の響きも重ねました。
移ろいゆくもの、静かに朽ちてゆくものの中に、ふと宿る美しさ。
完成ではなく、未完成にこそ生まれる、静けさと深み。
古びるのではなく、風合いを深めていくこと。
擦り減るのではなく、やわらかさを纏っていくこと。
私たち夫婦にとって、それは和蝋燭の姿であり、
自身の歩みそのものでもありました。
灯すことで完成する蝋燭は、
誰かの手の中で少しずつ姿を変えながら、
「使われる」という営みによって、今を生きています。
完成されたものよりも、
今まさに変わりゆく“未完成の美しさ”を慈しむように。
錆屋は、小さな蝋燭に、私たちの心を映しています。
削がれ、揺らぎながらも、
ただひとつの灯りになるとき、
そこに映るのは、
飾らない、ありのままのわたしたち。
夫婦ふたり、
小さな火を手渡すように、
今日も蝋燭をつくっています。
―自然から生まれ、手を経て、火となってゆく―
錆屋の和蝋燭は、ハゼノキの実から採れる木蝋に、
精製された白蝋を加えた蝋を用い、
一本ずつ、すべて手仕事で仕上げています。
芯には、和紙とい草を巻いたものを使い、
蝋の中に空気を含ませながらゆっくりと燃えていくため、
その炎はどこか、いきもののようにやさしくゆらぎます。
その燃え方、かたち、色合い——
どれひとつとして、同じにはならないのは、
すべてが人と自然の手から生まれているから。
蝋燭それぞれに、静かな個性と表情が宿ります。
彩りには、植物や土など自然由来の染料を使用し、
化学性原料は用いていません。
なぜその植物を使ったのか。
なぜその土の色を選んだのか。
染めのひとつひとつにも、物語があります。
素材の背景や季節の巡り、そのとき心に浮かんだ風景——
一本一本に、そっと名を添えるようにして、和蝋燭を仕立てています。
仏教の伝来とともに日本に根づいた灯火文化が、
時を重ね、土地と心によりそいながら、
いまのかたちへと育まれてきた和蝋燭。
あわただしい日々のなかに、ふと立ち止まり、
炎のゆらぎに呼吸を合わせるような、
そんな「間」をつくる存在であれたらと願っています。
― 和蝋燭と旅をする、小さな相棒 ―
火を灯す時間を、どこにいても。
和蝋燭を旅先でも楽しんでいただけるよう、
錆屋では、オリジナルの銅箱をつくりました。
製作を依頼したのは、金属加工の町・新潟県燕市で
精緻なものづくりを続ける「TAKEDA」さん。
この箱には、和蝋燭を灯すために必要な道具がすべて収められています。
和蝋燭、小さな燭台、芯切り、マッチ——
ひとつひとつが、火と向き合う静かな時間を支える道具たちです。
旅先でも、ふっと心を整えるように灯すことができます。
銅という素材は、使い続けることで少しずつ表情を変えていきます。
ときに手の跡が馴染み、
ときに緑青(ろくしょう)と呼ばれる青緑の風合いが現れ、
その人だけの景色が静かに宿っていく——。
この銅箱もまた、時と共に育つ存在のひとつです。
銅箱には、ふたつの証しをご用意しました。
ひとつは紋の「錆屋」——
銅板を曲げて組み立て、洗練された姿に‥
わたしたちの屋号として、“未完成の美しさ”を灯す場所であること。
そしてもうひとつは印の「錆家」——
銅板を職人の手で溶接し、軌跡を残す‥
わたしたちが届ける和蝋燭が、家族の時間の中から生まれてきたこと。
“家”という文字には、私たちの原点に立ち返り、
あたたかな時間をそっと思い返すような願いを込めました。
あの日の火を、小さな箱にそっとしまって、
また新しい場所で、そっと灯す。
そんな旅の時間に寄り添う相棒になりますように。
176-0002
東京都 練馬区 桜台5-11-22
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